2011年1月23日日曜日

日本に於ける生きるための唄~角石(かどいし)~

さて、本日はタイのスタンダードなジャンルとして幅広い層から高い支持を受けているプレーンプアチウィットについて。
このジャンルはとにかくタイで広く親しまれてます。
タイポップのアーティストたちってのは5年持てばたいしたもので大体1年や2年で消えてくことが多いんですが、このジャンルのアーティストたちの代表格は10年選手がざらに居ます。
というのも、彼らの音楽はそのジャンルの名前が表すとおり、「生きるため」、つまり生活に根ざした内容の歌詞が多いのも生きながらえる条件の一つといえます。
他に、有名なプアチウィットバンドのカラバオ(carabao)の名曲「Made In Thailand」のタイトルからも察することができるように、タイ独自の文化やルーツに敬意を払った音楽ということも、このジャンルが世代を問わず親しまれる要因ではないでしょか。
そういった意味では、ジャマイカのルーツレゲエや70年代の昭和歌謡と、プレーンプアチウィットは同音異義語のような気もします。


さて、ここから本題。
タイの産業のひとつとして挙げられるのはなんでしょう?
ずばり農業。
プアチウィットにはこの農業に関する歌もかなり登場します。
有名なのはカラワン(caravan/คาราวาน)の「Khon Kap Kwaai(คนกับควาย)」で、タイ農業を営むうえで欠かすことのできない水牛と人との生活を歌った歌があります。
その歌の真意は"働けど我が生活、楽にならず"というのを遠回しに歌ったものなんですね。



日本でも農業というのは非常に重要な産業のひとつでありますが、なかなかどうして農業に関する歌というのがホントにない。
40年近く生きてきた中で私の知る農業の歌といえば、小林旭の「赤いトラクター」くらいしかなかったのですが、ある日みつけてしまったのです。
それがこれ。


もう正にプアチウィット。
そしてこの人、もう1曲プアチウィットでパンクな曲を歌ってるんです。それがこれ。


意外に農業の人たちって士農工商やった時代から立場的にあまり変わらず苦労されてるんだろなぁと感じつつ、それでいて何ともいえん「負けへんでぇっ!!」て漲るパワーすら感じてしまう曲です。

日本ではとかく荒波にもまれる漁業の歌が演歌界ではもてはやされますが、地味ながらも実は日本の底力を支えてる農業の歌ももっと作られていいのではないのでしょか。
米ってマジメな話、我々日本人にとってパワーの根源やと思うのです。
そんな米を自然とときには闘いながら作る農業の人たちの姿って素晴らしいと思います。

米嫌いの日本人が増えてく米の国、日本。
今一度、生きるための唄を感じながら日本のあるべき姿を考え直してみては…なんちゃって(ぷ

2011年1月21日金曜日

ボルテスV@フィリピン


さて、続けて思い出話に花を咲かせたいと思います。
前の記事で初タイ旅行を書きましたが、その後に挑んだのはフィリピンはマニラへの旅行でした。
フィリピンといえばリゾートの島々を思い出す方のほうが多いかもしれませんが、リゾートには全く興味のない私にとっては、コンクリートで固められた空間の中でうごめく混沌としたヒトと排気ガスだらけの都心部が正にリゾートでした。

ところで何故マニラか?というと…
これも結局前回と同様、行きたい国への切符が取れなかったからです。
どれだけ計画性がないんかと思うてしまうんですが、決まってからはまた色々とネットや本で安全な旅を目指すべく情報を仕入れてくるわけですが、そこで気になったのがボルテスVが国民的人気を博しているとの情報。

ボルテスVとは私が小学生時代の頃のロボットアニメ。
私がマニラ旅行を決行した当時、たしか1999年かそこらだったと思いますが、90年代も終わりを告げようというときに何を今さらボルテスVと思うてたんですが、いざマニラの大衆市場へ繰り出すとそこいらの露天商の売る雑貨の中にあらゆるボルテスVグッズが氾濫しており、びっくりしたのがハイヒールにボルテスV(大人サイズ…ブ)。バブリーなお姉さんが持ちそうなハンドバックみたようなものにもボルテスVが印刷されてて、それはちょっと怖かったのを覚えてます(笑)

あまりにもの人気ぶりに私もボルテスVにあやかろうと市内のテープ屋さんへ。
そこで見つけたのが上の画像。見てください。
ロボットがメガネかけてヒゲ生やしてるんですよー。
あまりにも面白かったので買おうとすると「あ、これ…海賊盤ですよぉ」とな。

因みにこのテープ屋さん、海賊盤と正規盤をバリアフリーで売る店でした。
そのくせ買おうとすると『買わないほうがいい。こっちが正規盤だ』となかなか売ってくれない。
店員も日本人に自国の恥ずかしい部分を見せたくなかったのかは定かではないですが、欲しい→海賊盤、正規を買え→正規は要らん、その海賊盤が欲しい→何故そんなものを欲しがるのか→面白いから→駄目だ→(はじめに戻る)を10回ほど繰り返して渋々買わせていただいたレアな一品。

どの辺が海賊盤かというと、まずボルテスVのOPとEDテーマ以外にマジンガーZのOPとED、ダイモスのOPとED、それにグダグダなミックスまでが入ってるという豪華盤(プ
そのなかのグダグダミックスがコレ



聴いてお分かりのとおり、シンガーは本物でなく海賊版、つまりフィリピン人唱歌だったんですねー。
しかも耳コピ。
声なんかは水木一郎や堀江美都子にそっくりで一聴すると本人唱歌と勘違いするほど。
でも、たまに何を言うてはるのかわからん箇所もあったりしてそのへんが海賊盤クオリティなんかなと。

さてさて、話を戻してこのボルテスV現象、フィリピン国内では社会現象にまで発展したらしく、マルコスさんが放送禁止したそうです。
当時のマルコスさんにしたら、独裁的な人間を正義や勇気を大義名分にヒトたちが倒すってストーリーは耳が痛かったんでしょうな。
詳細は下の2つの動画。
誰かの卒論ですがかなり面白いです。





そうそう、フィリピンで驚いたことがもうひとつ。
マクドやKFCへ行ったときに感じた違和感がありました。
街のファストフード店では何故か店員以外のイカツイ制服を着たおっちゃんやら兄ちゃんが必ずいたことです。
後々、調べてみると彼らは地元の警官で正規の仕事(警官)だけで食べていけないためとのこと。

まぁ…確かに飯食えて、はじめて仕事ができるのえその気持ちはわかりますが。
そんなバイト中の警官を激写。

このときのやりとりも未だに忘れもしません。

西部警察っぽいサングラスをかけた警官があまりにもかっこよかったので「写真ダイジョブ?」と交渉すると…
『な~ぜ~じゃ?』と肩にかけた銃を顔面に向けてきたもんだから、かなり冷汗モノ。
「い…いやいや、ただかっこよかったから」と伝えるとニヤッと笑い、ご覧のポーズを延々とってたのです。

2000年以降、フィリピンには全く行ってませんが公共交通機関はできたんでしょうか?

2011年1月20日木曜日

初タイ験

さて、本日はちょっとだけ思い出話でもしてみようかと。
きっかけになったのが、先日見つけた仮面ライダー@バンコク。
先日の陳和美のカヴァーもそうですが、仮面ライダーの人気はアジアで凄かったみたいですな。
とりあえずこちらをご覧あそばせ。



70年代のバンコクといえば、楽宮ホテル。
私自身その姿を目の当たりにしたことはござぁませんが、伊藤四郎似のオーナーのいるかなりカオティックなゲストハウスがあったときいております。
そんな時分にアジアに目を向けていれば、もう少しディープなタイにお目にかかれたのかもしれませんが、私が訪タイしたのは、今から13、4年前の正月。
BTSができるかできひんかってときですので、古くから訪タイしている人に云わせるとカオス度はかなり薄れた時期だったそうです。
それでもアジア初体験の私の目に映るものすべてがカオティックでした。

元々タイには全然興味がなかった私は、初めてのタイ旅行んときも最初はニュージーランドに行って知り合いのニューイヤーラリルレロパーティーに参戦する予定だったんですが、休みは取れたものの切符が取れず、当時の嫁の「タイに行きたい」とのひとことでタイ行きが決定。

当時タイに関するものといえば、テレビで年末に放送する衝撃映像特集なんかで観られた人質を盾に篭城するシーンやら、アニキが借りてきたドキュメントもののビデオに登場する惨殺シーンや売買春シーンくらいしかなかったもんですから、行く前は旅に必要なタイ語を単語帳に書いて覚えてみたり、タイの慣習と服装をインプットしてみたりとまるで受験前の緊張感。
行ったら行ったで初めて生で見るタイ人のギョロっとした黒目に衝撃映像のシーンがフラッシュバックしたりと、ひたすら気が張り詰めた状態で"初タイ験"が終わってしまいました(ブ

そんな私の横でホアランポーンとした顔で"のほほん"とタイを楽しんでる嫁を見て、あの人は強かったなぁと当時を振り返り改めて感じております(笑)

とにかく"キンチョーの連続"な初タイ旅行でありましたが不安なときばかりでなく、丁度正月だったこともあり警察署員たちが手錠を自分にはめてラジカセから流れるモーラムに合わせて昼間から宴会状態やった中に参加させてもらったり



当時あったタワレコでロックな兄ちゃんとタイロックについて熱く語ってもらったりと楽しい時間もそれなり過ごせました。

★  ★  ★  ★  ★  

ところで、私が初めてタイの大衆音楽に触れたのはテープ屋で薦められた「FLY」でしたが、そのときもうひとつこのバンドも紹介してもらいました。
テープ屋のおっちゃんがこの曲について何やら云ってましたが、初タイ旅行中の私に分かるはずもなく、昨年トンチャイの旧作に接する機会までこの曲がトンチャイの曲ということを知りませんでした。

2011年1月2日日曜日

ポンチャックを日本語でするヒト、高マサミ

あけましておめでとさんです。
ことしもぼちぼちと続けてまいります。

で、新年一発目は韓国ネタです。
といっても、へそ曲がりな私が流行りのK-POPなぞを紹介することは無いわけで、今回はK-POPということばが出てくる以前から韓国の大衆音楽として親しまれているポンチャックです。

まずは大御所をひとつどうぞ。



世代的にポンチャックといえば上の李博士(イ・パクサ)がすぐに頭が浮かびまして、ポンチャック=ハイテンションなスキャット+カシオトーンありきの音楽と思っていたらそうではなくて、なかには涅槃テクノっぽいやつやらカッワリー的な荘厳さすら感じさせるものもあるみたいです。

そんな細分化(?)されてくポンチャックシーンに昨年夏に登場したのが、高マサミなのです。
この時期にポンチャックで、しかも日本語で日本デビューとはどれだけ隙間産業なのかと。



いかがでしょ?
キシャキシャシュッポッポッポ…のクダリがなんともセクシーで艶っぽいし、「夜行列車」ってタイトルにかけてドゥービー・ブラザーズの名曲「Long Train Runnin」のワンフレーズが飛び出すところも愛嬌あって、なんともポンチャック然としてます。

正味の話、ポンチャックというジャンル自体が我々日本に居るものからすればネタ的、イロモノ的な印象をどうしても受けてしまうのですが、コンピュータで気軽にハイクオリティなサウンドが作れるこのご時世で、この曲はあくまで"大衆音楽"という域を超えることなくポンチャックの持つチープさ、俗っぽさを真面目に再現した楽曲だと個人的には感じております。

所属事務所のプロフィールを拝見すると、結構音楽活動はずーっとやってきてる人のようで、2002年には既に元ロスインディオスのメンバー、永山こうじ氏と「星降る街角」デュエットしてはるそうです。
となると、路線的には演歌路線で頑張っきてた人なんかなぁと思うのですが、違ってたらごめんなさい。

彼女のプロフィールにも"在日コリアン3世"とありますが、この「日本語でポンチャック」というスタイルがある意味原点回帰なんでしょうな。

売れる売れないということを度外視して、あえてこのジャンルに打ち込む彼女とレーベルにエールを送りたい。
というか、こういう精神はどこかで持ってないとあきませんな。