2011年3月12日土曜日

イラン、「悪魔的音楽」の烙印と闘うミュージシャンたち

あっという間に3月も半ばにさしかかろうというとき。
今回は私が東南アジアの音楽に対して興味を失いつつあった時期に出くわした音楽ペルシアンポップについてなのです。
というのも現在私にとってタイ音楽に対して再び食傷気味なもんでして、それならばと同じ状態の頃に聴いていた音楽を聴いてみようってことで引っ張り出してきました。

さて、ペルシアンポップ、つまりイランの音楽というのは実は日本人にとって一番馴染み深いエキゾチックな音なのかなぁと思うのですね。
というのもこの曲があったからなんです。



いやぁ、今聴いても全然古臭くなくてかっこいい久保田早紀の名曲です。
私が思うに日本にエキゾ音楽のイメージをこれでもかと刷り込んだ唯一の日本人作曲作品だと思うのです。
今思えば、私がアジアというより、所謂エスニック音楽というものに興味を持ち出したのもひょっとすると彼女の曲の雰囲気をどこかで欲していたのかもしれません。

そんな音と追い求めていたとき、このブログの前身だった同名ホームページのときに色々とお世話になったサリガレコードさんから「一度聴いてみては?」とサンプルCDを戴き、なんとも妖艶な音の魅力にハマってしまったのです。
その中でも特に気に入ったのがSHOHREH。



いかにもなほどエキゾチックでしょ?

へてから、SHOHREHよりももう少し泣きの入ったペルシアンポップでお気に入りなのがIDIN。



声質がなんとなくCHEMISTRYのどちらかに似ているので個人的には1人CHEMISTRYと覚えているんですが、これらの曲を聴いていただければなんとなく色んな国の音楽を思い浮かべたりしませんか?

例えばインド、他にはケルト的なものやドイツあたりのトランスミュージックにも通じるようなものも個人的には感じてしまいます。
地理的に云っても中東地域はアジアと欧米が混在する地域。
先に述べたような音楽がまさにクロスオーバーしてできあがってくるようです。

このクロスオーバーの度合いが絶妙なのがペルシアンポップなのです。
同じ中東地域トルコにあるターキーポップほど鼻に付くエキゾチックさもないサラリ感がいいんですね。

そんな兼高かおる世界の旅的なサラリ感が楽しめるペルシアンポップですが、じつはイラン国内での音楽活動というもの自体がかなり厳しく取り締まられているってな話らしいです。
ま、これもサリガさんからの受け入れなんですが(笑)

こんな歌謡曲的存在のペルシアンポップですら国内での活動は厳しいわけですからロックなんてとんでもない話のようです。
下の動画にイランのアンダーグラウンド状況がリアルに記されています。

       http://www.youtube.com/watch?v=czkGOZ6YYoM
下の動画が埋め込み不可で観られないようなので↑上記URL↑をアドレスバーに入力して下さいな。


この動画を観る限り、ロックはこの国でもやっぱり反体制の音楽として認知されているようでして、それをなぞるように活動するもんですから当然お役人の目は厳しくなってくるみたいです。
更に彼らの音楽が「悪魔的」という烙印を押されたときお役人は彼らを拘束する権利ももっているらしいです。

今色んな国で民主化が叫ばれる世の中。
あの中国ですらそんな動きをとめることでお役人が躍起になっているようですが、この先どうなるんでしょう。
私個人的に言わせて頂ければ、どんなものでもほどほどの規制はアリだと思います。
特に音楽はね。

2011年2月23日水曜日

憧れのモーラムシンガーハニー・シーイサーン - ฮันนี่ ศรีอีสาน

もう暦の上では春。

春といえば蜂。蜂といえば蜂蜜。蜂蜜といえばハニーシーイサーンを思い出します。
かれこれ10年以上前の話になりますが、東南アジアの音楽にハマり始めた頃、前川健一氏の著作に『まとわりつくタイの音楽』という本に出会い、それ以降タイポップ以上にモーラムやルークトゥンにハマりはじめました。
今でもたぶんamazonなんかであるとは思いますが、その本の中で前川氏が大々的に採り上げていたモーラム歌手がハニーシーイサーンでした。

彼が絶賛するモーラム歌手のうち代表的なものは友人の力を借りてなんとか入手できたもののこのハニーだけはなかなか入手できず、探し始めて3,4年が経過した頃に諦めはじめていたんです。

そんな折にまた友人が私の気持ちを察してくれ、ハニーのテープを送ってくれたときはもうそりゃ嬉しいのなんのって。

因みにそのテープは私が最もすきなラムシンをハニーが歌っているものでした。
圧倒的な迫力、そして畳み掛けるように次から次へと発するタイ歌詞と他で聴いた事のないコブシ回し。
もうどれもが感動でした。

それがこれ。
http://www26.tok2.com/home2/anarchy/a_s_esan.wma
音源だけですがどうです?

この手のラムシンは女性シンガーならユイ・ヤートヤーやらチンタラー・プーンラープ、男性シンガーならロックサドゥーあたりもよくやってますが、バックの演奏陣からして勢いが全然違うんです。

そんな折、youtubeでハニーの動画を発見しました。
しかも私の知らない曲です。





またハニーの葬儀の様子が収められた動画なんかも。


奇しくも今月26日はハニーの命日だそうです。1992年没なので今年で19回忌ですな。
ご冥福をお祈りします。

2011年2月9日水曜日

たまにはタイ料理~小松菜ファイデーン~

今日テレビを観てると、料理関連のブログが1日何万アクセスとなったブログを紹介してましてね。
『そんなに料理って需要あるのんなー。そんなら私も…』ってぇノリで、以前のホームページで紹介してた料理を新たにこちらでも紹介します(笑)

さて、本日こちらではじめて紹介するのは、タイの食堂で良く見かけられる青菜炒め。

材料は以下のとおり


小松菜・・・・・・・・・・・・・ 2束
にんにく(みじん切り)・・・・・・1かけ
赤唐辛子(小口切り)・・・・・・・2~3本
オイスターソース・・・・・・・・大さじ2
シーズニングソース・・・・・・・大さじ1
タオチオ(なければ赤味噌)・・・・大さじ2
水・・・・・・・・・・・・・・・大さじ2


本場ではシャキシャキの空芯菜を使いますが、日本のスーパーではなかなか見かけないので、よく見かける小松菜を使います。
へてから今回の料理の調味料に必須なアイテムが「タオチオ」という大豆味噌と「シーズニングソース」という醤油とソースのアイノコのような調味料。
シーズニングソースは今や100均ショップや業務スーパーに常時安価で置いてますが、タオチオはスーパーにナカナカないので、これを赤味噌に代えます。
合わせでもOKですが、塩っけやコクがイマイチなので私は赤味噌派です。
今は便利なチューブ味噌なんかも売ってますので、そんなんを使うとより楽チンでしょ。

これでタイ料理屋で食べた気分になりましょ。

★前工程★
1.オイスターソース,シーズニングソース,タオチオを合わせてタレをつくっておき、にんにくと赤唐辛子を刻む。
 薬味系は切ると香りが逃げやすくなるので、勿体無いと思いつつも別の容器に入れラップしておく。

2..小松菜は根元の裏側にも土が付着し、食う時にジャリジャリするので一枚一枚剥がして丁寧に洗う。

3.洗った小松菜は38℃くらいのぬるま湯に5分程度漬けておく。
  こうする事により冷水にさらすよりシャキっとなり、みずみずしさも衰えにくい。
  食べ易くしたい人はぶつ切りにしておくと良い。

4.最終段階で焦るので、「水 大さじ2杯」を別の容器に入れておくことをお忘れなく。...

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

この料理は時間が勝負。
へてから、野菜を入れた瞬間、火柱が上がるので火事には要注意です(笑)
レンジフードカバーは燃えます。
…ので、燃えやすいものは除けておいて、服もフリースなど引火しやすい服は避けたほうがいいと思います。
裸にエプロンが意外に安全…なんちゃって。

よしっ!と気合と準備を万端にしたら、どこに何が置いてあるかを確認する。
料理経験が浅いひとは火、音、熱にたじろぐ事間違いなしなので、その辺に免疫をつけたうえでコンロ前に立ちましょう。

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

■作り方■
1.フライパンにサラダ油を引き、キンキンに熱する。
 目安はフライパン全体から白い煙が上がる程度。
 
2.熱したフライパンににんにくと赤唐辛子を入れる。
 すぐに焦げてしまうので、そぐに水を切った小松菜をジャッと入れる。
 このときに上がる炎に要注意。

3.油が全体に回ったところでタレを入れ、全体に絡める。

4.最後に予め計っておいた水を入れ一混ぜして出来上がり。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  

コツは2~4の工程を約40秒~1分を目標にすること。
私がこの料理でよくやるのは、小松菜を入れる前にレンジで温めておいた厚揚げを薄く一口サイズに切って入れます。
これがまたおいしい。
それに目玉焼きを強火で両面軽く焼いて「ご飯→小松菜ファイデーン→目玉焼き」とおかずのせご飯にすると、バンコクの屋台弁当屋の弁当さながらです。

小松菜は栄養価が高くて、身体にもいいです。
だからこそその栄養価を失わんよにサッと火を通しましょ。
因みにカルシウムはホウレン草の5倍もあるらしいです。

※)小松菜のほかに白菜やターサイ、青梗菜なんかでも代用できますよぉ。

2011年1月23日日曜日

日本に於ける生きるための唄~角石(かどいし)~

さて、本日はタイのスタンダードなジャンルとして幅広い層から高い支持を受けているプレーンプアチウィットについて。
このジャンルはとにかくタイで広く親しまれてます。
タイポップのアーティストたちってのは5年持てばたいしたもので大体1年や2年で消えてくことが多いんですが、このジャンルのアーティストたちの代表格は10年選手がざらに居ます。
というのも、彼らの音楽はそのジャンルの名前が表すとおり、「生きるため」、つまり生活に根ざした内容の歌詞が多いのも生きながらえる条件の一つといえます。
他に、有名なプアチウィットバンドのカラバオ(carabao)の名曲「Made In Thailand」のタイトルからも察することができるように、タイ独自の文化やルーツに敬意を払った音楽ということも、このジャンルが世代を問わず親しまれる要因ではないでしょか。
そういった意味では、ジャマイカのルーツレゲエや70年代の昭和歌謡と、プレーンプアチウィットは同音異義語のような気もします。


さて、ここから本題。
タイの産業のひとつとして挙げられるのはなんでしょう?
ずばり農業。
プアチウィットにはこの農業に関する歌もかなり登場します。
有名なのはカラワン(caravan/คาราวาน)の「Khon Kap Kwaai(คนกับควาย)」で、タイ農業を営むうえで欠かすことのできない水牛と人との生活を歌った歌があります。
その歌の真意は"働けど我が生活、楽にならず"というのを遠回しに歌ったものなんですね。



日本でも農業というのは非常に重要な産業のひとつでありますが、なかなかどうして農業に関する歌というのがホントにない。
40年近く生きてきた中で私の知る農業の歌といえば、小林旭の「赤いトラクター」くらいしかなかったのですが、ある日みつけてしまったのです。
それがこれ。


もう正にプアチウィット。
そしてこの人、もう1曲プアチウィットでパンクな曲を歌ってるんです。それがこれ。


意外に農業の人たちって士農工商やった時代から立場的にあまり変わらず苦労されてるんだろなぁと感じつつ、それでいて何ともいえん「負けへんでぇっ!!」て漲るパワーすら感じてしまう曲です。

日本ではとかく荒波にもまれる漁業の歌が演歌界ではもてはやされますが、地味ながらも実は日本の底力を支えてる農業の歌ももっと作られていいのではないのでしょか。
米ってマジメな話、我々日本人にとってパワーの根源やと思うのです。
そんな米を自然とときには闘いながら作る農業の人たちの姿って素晴らしいと思います。

米嫌いの日本人が増えてく米の国、日本。
今一度、生きるための唄を感じながら日本のあるべき姿を考え直してみては…なんちゃって(ぷ

2011年1月21日金曜日

ボルテスV@フィリピン


さて、続けて思い出話に花を咲かせたいと思います。
前の記事で初タイ旅行を書きましたが、その後に挑んだのはフィリピンはマニラへの旅行でした。
フィリピンといえばリゾートの島々を思い出す方のほうが多いかもしれませんが、リゾートには全く興味のない私にとっては、コンクリートで固められた空間の中でうごめく混沌としたヒトと排気ガスだらけの都心部が正にリゾートでした。

ところで何故マニラか?というと…
これも結局前回と同様、行きたい国への切符が取れなかったからです。
どれだけ計画性がないんかと思うてしまうんですが、決まってからはまた色々とネットや本で安全な旅を目指すべく情報を仕入れてくるわけですが、そこで気になったのがボルテスVが国民的人気を博しているとの情報。

ボルテスVとは私が小学生時代の頃のロボットアニメ。
私がマニラ旅行を決行した当時、たしか1999年かそこらだったと思いますが、90年代も終わりを告げようというときに何を今さらボルテスVと思うてたんですが、いざマニラの大衆市場へ繰り出すとそこいらの露天商の売る雑貨の中にあらゆるボルテスVグッズが氾濫しており、びっくりしたのがハイヒールにボルテスV(大人サイズ…ブ)。バブリーなお姉さんが持ちそうなハンドバックみたようなものにもボルテスVが印刷されてて、それはちょっと怖かったのを覚えてます(笑)

あまりにもの人気ぶりに私もボルテスVにあやかろうと市内のテープ屋さんへ。
そこで見つけたのが上の画像。見てください。
ロボットがメガネかけてヒゲ生やしてるんですよー。
あまりにも面白かったので買おうとすると「あ、これ…海賊盤ですよぉ」とな。

因みにこのテープ屋さん、海賊盤と正規盤をバリアフリーで売る店でした。
そのくせ買おうとすると『買わないほうがいい。こっちが正規盤だ』となかなか売ってくれない。
店員も日本人に自国の恥ずかしい部分を見せたくなかったのかは定かではないですが、欲しい→海賊盤、正規を買え→正規は要らん、その海賊盤が欲しい→何故そんなものを欲しがるのか→面白いから→駄目だ→(はじめに戻る)を10回ほど繰り返して渋々買わせていただいたレアな一品。

どの辺が海賊盤かというと、まずボルテスVのOPとEDテーマ以外にマジンガーZのOPとED、ダイモスのOPとED、それにグダグダなミックスまでが入ってるという豪華盤(プ
そのなかのグダグダミックスがコレ



聴いてお分かりのとおり、シンガーは本物でなく海賊版、つまりフィリピン人唱歌だったんですねー。
しかも耳コピ。
声なんかは水木一郎や堀江美都子にそっくりで一聴すると本人唱歌と勘違いするほど。
でも、たまに何を言うてはるのかわからん箇所もあったりしてそのへんが海賊盤クオリティなんかなと。

さてさて、話を戻してこのボルテスV現象、フィリピン国内では社会現象にまで発展したらしく、マルコスさんが放送禁止したそうです。
当時のマルコスさんにしたら、独裁的な人間を正義や勇気を大義名分にヒトたちが倒すってストーリーは耳が痛かったんでしょうな。
詳細は下の2つの動画。
誰かの卒論ですがかなり面白いです。





そうそう、フィリピンで驚いたことがもうひとつ。
マクドやKFCへ行ったときに感じた違和感がありました。
街のファストフード店では何故か店員以外のイカツイ制服を着たおっちゃんやら兄ちゃんが必ずいたことです。
後々、調べてみると彼らは地元の警官で正規の仕事(警官)だけで食べていけないためとのこと。

まぁ…確かに飯食えて、はじめて仕事ができるのえその気持ちはわかりますが。
そんなバイト中の警官を激写。

このときのやりとりも未だに忘れもしません。

西部警察っぽいサングラスをかけた警官があまりにもかっこよかったので「写真ダイジョブ?」と交渉すると…
『な~ぜ~じゃ?』と肩にかけた銃を顔面に向けてきたもんだから、かなり冷汗モノ。
「い…いやいや、ただかっこよかったから」と伝えるとニヤッと笑い、ご覧のポーズを延々とってたのです。

2000年以降、フィリピンには全く行ってませんが公共交通機関はできたんでしょうか?

2011年1月20日木曜日

初タイ験

さて、本日はちょっとだけ思い出話でもしてみようかと。
きっかけになったのが、先日見つけた仮面ライダー@バンコク。
先日の陳和美のカヴァーもそうですが、仮面ライダーの人気はアジアで凄かったみたいですな。
とりあえずこちらをご覧あそばせ。



70年代のバンコクといえば、楽宮ホテル。
私自身その姿を目の当たりにしたことはござぁませんが、伊藤四郎似のオーナーのいるかなりカオティックなゲストハウスがあったときいております。
そんな時分にアジアに目を向けていれば、もう少しディープなタイにお目にかかれたのかもしれませんが、私が訪タイしたのは、今から13、4年前の正月。
BTSができるかできひんかってときですので、古くから訪タイしている人に云わせるとカオス度はかなり薄れた時期だったそうです。
それでもアジア初体験の私の目に映るものすべてがカオティックでした。

元々タイには全然興味がなかった私は、初めてのタイ旅行んときも最初はニュージーランドに行って知り合いのニューイヤーラリルレロパーティーに参戦する予定だったんですが、休みは取れたものの切符が取れず、当時の嫁の「タイに行きたい」とのひとことでタイ行きが決定。

当時タイに関するものといえば、テレビで年末に放送する衝撃映像特集なんかで観られた人質を盾に篭城するシーンやら、アニキが借りてきたドキュメントもののビデオに登場する惨殺シーンや売買春シーンくらいしかなかったもんですから、行く前は旅に必要なタイ語を単語帳に書いて覚えてみたり、タイの慣習と服装をインプットしてみたりとまるで受験前の緊張感。
行ったら行ったで初めて生で見るタイ人のギョロっとした黒目に衝撃映像のシーンがフラッシュバックしたりと、ひたすら気が張り詰めた状態で"初タイ験"が終わってしまいました(ブ

そんな私の横でホアランポーンとした顔で"のほほん"とタイを楽しんでる嫁を見て、あの人は強かったなぁと当時を振り返り改めて感じております(笑)

とにかく"キンチョーの連続"な初タイ旅行でありましたが不安なときばかりでなく、丁度正月だったこともあり警察署員たちが手錠を自分にはめてラジカセから流れるモーラムに合わせて昼間から宴会状態やった中に参加させてもらったり



当時あったタワレコでロックな兄ちゃんとタイロックについて熱く語ってもらったりと楽しい時間もそれなり過ごせました。

★  ★  ★  ★  ★  

ところで、私が初めてタイの大衆音楽に触れたのはテープ屋で薦められた「FLY」でしたが、そのときもうひとつこのバンドも紹介してもらいました。
テープ屋のおっちゃんがこの曲について何やら云ってましたが、初タイ旅行中の私に分かるはずもなく、昨年トンチャイの旧作に接する機会までこの曲がトンチャイの曲ということを知りませんでした。

2011年1月2日日曜日

ポンチャックを日本語でするヒト、高マサミ

あけましておめでとさんです。
ことしもぼちぼちと続けてまいります。

で、新年一発目は韓国ネタです。
といっても、へそ曲がりな私が流行りのK-POPなぞを紹介することは無いわけで、今回はK-POPということばが出てくる以前から韓国の大衆音楽として親しまれているポンチャックです。

まずは大御所をひとつどうぞ。



世代的にポンチャックといえば上の李博士(イ・パクサ)がすぐに頭が浮かびまして、ポンチャック=ハイテンションなスキャット+カシオトーンありきの音楽と思っていたらそうではなくて、なかには涅槃テクノっぽいやつやらカッワリー的な荘厳さすら感じさせるものもあるみたいです。

そんな細分化(?)されてくポンチャックシーンに昨年夏に登場したのが、高マサミなのです。
この時期にポンチャックで、しかも日本語で日本デビューとはどれだけ隙間産業なのかと。



いかがでしょ?
キシャキシャシュッポッポッポ…のクダリがなんともセクシーで艶っぽいし、「夜行列車」ってタイトルにかけてドゥービー・ブラザーズの名曲「Long Train Runnin」のワンフレーズが飛び出すところも愛嬌あって、なんともポンチャック然としてます。

正味の話、ポンチャックというジャンル自体が我々日本に居るものからすればネタ的、イロモノ的な印象をどうしても受けてしまうのですが、コンピュータで気軽にハイクオリティなサウンドが作れるこのご時世で、この曲はあくまで"大衆音楽"という域を超えることなくポンチャックの持つチープさ、俗っぽさを真面目に再現した楽曲だと個人的には感じております。

所属事務所のプロフィールを拝見すると、結構音楽活動はずーっとやってきてる人のようで、2002年には既に元ロスインディオスのメンバー、永山こうじ氏と「星降る街角」デュエットしてはるそうです。
となると、路線的には演歌路線で頑張っきてた人なんかなぁと思うのですが、違ってたらごめんなさい。

彼女のプロフィールにも"在日コリアン3世"とありますが、この「日本語でポンチャック」というスタイルがある意味原点回帰なんでしょうな。

売れる売れないということを度外視して、あえてこのジャンルに打ち込む彼女とレーベルにエールを送りたい。
というか、こういう精神はどこかで持ってないとあきませんな。